法務省矯正局の幹部6人が榊原弱者救済所跡をご視察くださった。矯正局職員の視察は開所以来初めてのことだ。
今まで法務省保護局は保護局長を筆頭にゆうに百人はおみえいただいた。保護司会、更生保護女性会はそれこと各地から一千人を超えている。さらに民生委員さんは絶対数が多いこともあり相当数の方が視察におみえいただいている。
しかし、矯正局は初めて。有り難かった。これは今年度より矯正行政のルールが変わり、刑余者の社会復帰の手助けもすることになったので、その勉強? の一面もあったようだ。
それにしても榊原亀三郎のことが少しでも広く認知されていくことは嬉しいことだ。
令和5年11月17日、愛知県更生保護大会が春日井市市民会館で開催された。席上、「社会を明るくする運動の功労者」として愛知県知事から感謝状が西まさるに贈呈された。
西まさるは謝辞の中で、「この表彰は私への表彰というより、30年に亘り、1万5千人もの社会的弱者を個人で保護・救済した榊原亀三郎への表彰だと思っている。この類いまれなる偉人・亀三郎をもっと、もっと世の中の人に知ってもらいたい。そして『弱い人に誰もが普通に手を差しのべる世間』を目指したい」と述べた。
*『はんだ郷土史だより』112号より転載
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愛知県東郷町の「社会を明るくする運動ミニ集会」に西まさるが呼ばれて、榊原亀三郎の救済所の「1万5千人もの弱者を救った事実」をお話してきた。
「ミニ集会」というものの150人近い方々がご出席。なかなかの熱気だった。
ご出席が同区の保護司さん、更生保護女性会のみなさんに加え、民生委員さん、それにPTAの方々もいらっしゃるとのことだった。
保護司関係者への講演は手慣れているつもりだが、PTAの方々へは初めてのこと。それも150人のうち保護司、更女さんはおそらく2,3割のはず。残りはPTA関係などの方々になる。
さて、そんなメンバーに一方的に更生保護関連の話では分かりにくかろう・・・。と、ちょっと戸惑った講演になってしまった。
それでも会場のみなさまは実に熱心に聴いてくださった。
終演後、花束贈呈をいただいた。これも嬉しいが戸惑う。立派なバラの花束だった。
伊達泰裕中部地方更委員長委員、横地名古屋保護観察所長、萩原直己名古屋保護観察所専門官のお三人が救済所跡を視察にみえた。ほとんど突然に近い連絡だったので、半田保護区保護司会も慌てた、慌てた!
15枚のパネル「亀三郎の足跡」をご説明。
救済所内を視察の後、訓話+懇親。敷地内のこんなところで失礼!
写真左より、西まさる、伊達委員長、横地所長、萩原専門官、前田利行榊原弱者救済所跡保存会理事、竹内真澄半田保護司会副会長。
こうして法務省幹部が救済所跡に足を運んでくださるのは実にありがたいことだ。これを契機に全国の保護司会、更生保護女性会がもっともっと視察に来てくださり、「30年に亘り、1万5千人もの社会的弱者を幸せの幸せの村」がここにあったことを知っていただきたい。
鴉根山で亀三郎に撃たれた白狐。その後、救済所のアイドルになった白狐。その狐の名前を広く募集していたが、この度、ようやく決定!
名前は「愛」。4月9日の「亀三郎まつり」で発表された。
亀三郎の弱者に対する深い愛、そして鴉根は愛の降る町。どんぴしゃりの命名である!
4年間、お待たせしました。「亀三郎まつり」4月9日10時から開催です。
◎写真は前回(2018年4月)のもの。楽しく、賑やかに行いました。
今回もがんばって開催します。どうぞご来場ください。
・日時 令和5年4月9日(日)10時~12時ごろ
・会場 鴉根史跡公園・弱者救済所跡地
(雨天は鴉根区民館ホール)
・内容 各種アトラクション、コーラス。
半田保護区保護司会がお楽しみクイズ。パネル展
・小宴 寿司など軽食・酒、ドリンク・菓子・鴉根産のタケノコ料理等々
・入場カンパ 千円。
・主催 榊原弱者救済所跡保存会
・共催 半田市・半田保護区保護司会
鴉根区・はんだ郷土史研究会
▽どなたでもご参加いただけます。
予約など不要です。お友達お誘い合わせの上、現地にお越しください。
▽駐車場は限りがあります。
11月24日、25日は忙しかった。
24日は午前中に武豊町更女会さん、午後は名古屋瑞穂区保護司会さん。25日は東海市更女会さん。その合間に日本福祉大学の学生がひょっこりと。
でも、亀三郎と救済所が注目されていることは嬉しい。「忙しい、しんどい」などと言ってはいられない。
明治のある日、安城農林高校の山崎延吉校長が榊原弱者救済所へやって来て、農地を見た。農園には葉物野菜、ジャガイモが植えてあった。山崎先生はそれを見ると一喝、「この土地に葉物やジャガイモは不向きだ。すぐに大根を植えなさい。サツマイモを植えなさい」。
山崎先生の指導で作物を変えた救済所の農園には立派な大根がたくさん収穫できた。
それを見て驚いたのは成岩町や武豊町の農家の人たち。「なんで鴉根の救済所でこんな立派な大根が出来るのだ!」。周辺の農家の人たちが救済所に視察に来た。プロの農民が大根の栽培方法を救済所の素人に訊きに来たのだ。救済所の大根の品質はプロがたまげるほどのものだったのだ。
そして栽培方法を手に入れた成岩、武豊の農園には立派な大根が育ち、大根の一大名産地になった。有名な武豊の「武豊たくあん」はこれがスタート地点なのだ。
この話を武豊町更女さんにした。不思議そうな顔、嬉しそうな顔の更女さんたちだった。