30年にわたり1万5千人もの社会的弱者を救った
日本初、日本最大の民営弱者救済施設
明治32年(1899)ごろから昭和7年(1932)ごろまで、今の半田市鴉根町の丘に榊原弱者救済所がありました。敷地は約6万6千坪(約22万㎡)、 そこに宿舎、武道場、礼拝施設など10棟ほどの建物。畑、牧場、果樹園があり、常に50人~100人ほどが暮らしていました。
ここで暮らすのは、貧しさのため捨てられた子ども、孤児。重病や障害があって家を出された老人、重病人。刑期を終えて出所したのに行き場のない出獄者。不幸な身の上の女性。みんな弱い人たちです。
そんな人たちが世間から嫌な目で見られず、差別や偏見を受けずに暮らせる“幸せの村”。それがこの施設で、延べ1万5千人が救われました。
主宰者は榊原亀三郎、成岩町生まれの男。若い頃は暴れん坊で侠客の道に入ったこともありました。しかし、30歳の時に心を改めると、30人もの子分たちも同じく改心させ、鴉根の丘に“新しい村”を造ったのです。
亀三郎翁は晩年、「この世に一人の孤児もいなくなり、努力しても飯が食えない人が、一人もいなくなるまで救済事業は続ける」と言いました。
こころざし半ばで彼は亡くなってしまいましたが、高く尊いその意志は、この鴉根の丘に生き続けているはずです。