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side-event 平成31年1月20日(日)アイプラザ半田・講堂にて、「榊原亀三郎の偉業と榊原弱者救済所の存在を広める会」を開催。一龍斎貞花・講談「榊原亀三郎物語」ほか、イベント多数。また、知多酒で乾杯する祝賀懇親会も同日に開催。どなたでもお気軽にご参加いただけます。詳しくはパンフレットを。 side-kengaku 榊原弱者救済所跡保存会 愛知県半田市稲荷町2-42 鴉根区民館内 ☎0569-27-7191 上記に不在の時は、下記にお願いします。 ☎0569-27-6306(田中) ☎0569-27-6233(前田) 公園までのアクセス E-mailでのお問い合わせは side-book いばりんぼうのカメ 幸せの風を求めて side-event はんだ郷土史研究会

30年にわたり1万5千人もの社会的弱者を救った
日本初、日本最大の民営弱者救済施設

榊原其三

大正中期の救済所。右の建物は武道場。左奥は宿舎。十棟ほどの建物があった。武道場は入所者の鍛錬の場だが、「半田警察署」の剣道場も兼ねていた。

 明治32年(1899)ごろから昭和7年(1932)ごろまで、今の半田市鴉根町の丘に榊原弱者救済所がありました。敷地は約6万6千坪(約22万㎡)、 そこに宿舎、武道場、礼拝施設など10棟ほどの建物。畑、牧場、果樹園があり、常に50人~100人ほどが暮らしていました。

 ここで暮らすのは、貧しさのため捨てられた子ども、孤児。重病や障害があって家を出された老人、重病人。刑期を終えて出所したのに行き場のない出獄者。不幸な身の上の女性。みんな弱い人たちです。

 そんな人たちが世間から嫌な目で見られず、差別や偏見を受けずに暮らせる“幸せの村”。それがこの施設で、延べ1万5千人が救われました。

老病者棟

道端や橋の下に人が捨てられているのが日常の時代だった。 救済所は、捨て子や老病者を多く収容。ここで成人まで育った孤児たちも数え切れない。

 主宰者は榊原亀三郎、成岩町生まれの男。若い頃は暴れん坊で侠客の道に入ったこともありました。しかし、30歳の時に心を改めると、30人もの子分たちも同じく改心させ、鴉根の丘に“新しい村”を造ったのです。

 亀三郎翁は晩年、「この世に一人の孤児もいなくなり、努力しても飯が食えない人が、一人もいなくなるまで救済事業は続ける」と言いました。

 こころざし半ばで彼は亡くなってしまいましたが、高く尊いその意志は、この鴉根の丘に生き続けているはずです。

 

 


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