
亀三郎翁の命日
大正14年5月8日、榊原亀三郎は逝去。事故死だった。
事故は国鉄(現JR)半田駅の南端にある小さなガードで起こった。ガードは道幅2㍍強、高さは2㍍以下で線路の下をくぐる通路のようなもの。上を見ると線路が丸見えの粗末なものだ。現在も歩行者と自転車が生活道路として利用している。
その日、亀三郎はいつもの...【続きを読む】

第2回救済所まつり
榊原亀三郎と弱者救済所の偉業を後世に残すために、隔年に一度、「まつり」をやろうととの企画。無事、第2回を行うことができた。
4月10日、鴉根のお祭りに便乗は例年通りだが、お神輿が4台、救済所跡地公園を廻ってくれた。
今回、半田市の藤本副市長のご提案がありがたかった。「桜...【続きを読む】

鴉根は「福祉の町」 中日新聞
何もない雑木林だった鴉根の丘に弱者救済所を造り、一万五千人もの人を救ったのが榊原亀三郎。その救済所とその精神が地元に根付き、鴉根の丘には福祉関係の施設が次々と建った。
地元の人もそれを温かく受け入れ、鴉根は「福祉の町」となっていった。
この度、各福祉施設が連携をとり、助け合いながら進む約束ができた。...【続きを読む】

小さな改善
榊原弱者救済所跡公園の課題はたくさんある。
大きな悩みの一つは、せっかく各地から見学にお見えになっても、この後、どこへ行っていいか不案内。また、跡地公園には人が常駐しているわけではないので、問い合わせもできない。だから見学の方にご不自由をおかけしていた。せめて半田の観光地の案内や昼食ができる店の紹介...【続きを読む】

亀三郎に助けられ
しばらくブログの更新を失礼していた。
実はぼく(西まさる)、脳梗塞で2ケ月ほど入院、11月末に退院。現在、杖をついて歩ける状態だ。そんなわけで、ご無沙汰をお許し願いたい。
思えば、10月5日の夕方、下半身が動かなくなった。動けない。困った。しかし、翌6日は大阪府保護司連合会の集いがあり、大阪に呼...【続きを読む】