南吉は救済所の子らと交流があった
1万5千人の弱者を救済した半田・鴉根の榊原弱者救済所は昭和6年に閉鎖、30年の歴史を閉じた。閉鎖に理由は、戦争に突入する日本に弱者救済など不要だという乱暴なものだった。そして救済所は姿を消した・・・と思っていた。
だが、それはが思慮が浅過ぎた。行政から捨てられた救済所だが、その時点でもゆく当てのない人が数十人はいたはず。認可や補助金はなくなってもその人たちは施設に残り、救済所は存在していたのである。
そして6年後、鴉根の住人になった新美南吉が救済所野子供どもと交流していた様子が見えた。11月号に約3ページにわたり、掲載(半田市内は回覧済)
半田郷土史研究会(西まさる氏)はんだ郷土史だより(11月1日発行より)…….はんだ郷土史だよりは、半田図書館・市役所。各公民館等に配布してあります。
。