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Blog見出し side-event 平成31年1月20日(日)アイプラザ半田・講堂にて、「榊原亀三郎の偉業と榊原弱者救済所の存在を広める会」を開催。一龍斎貞花・講談「榊原亀三郎物語」ほか、イベント多数。
また、知多酒で乾杯する祝賀懇親会も同日に開催。
どなたでもお気軽にご参加いただけます。詳しくはパンフレットを。 side-kengaku 榊原弱者救済所跡保存会
愛知県半田市稲荷町2-42
鴉根区民館内
公園までのアクセス
E-mailでのお問い合わせは
side-book いばりんぼうのカメ 幸せの風を求めて side-event はんだ郷土史研究会
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現在、亀三郎のお墓はどこにもありません
今はやりの「墓じまい」をしたわけではありません。
初めから無かった訳でもありません。
失われてしまったのです。
平成22年に撮影された写真には「行基」が残したといわれる「石塔」が映っています。
この「行基」が残し「石塔」こそが亀三郎の「お墓」だったのです。
ところが、その後の史跡保存の整備中に何故か無くなってしまったのです。
亀三郎の活躍したのは明治30年~昭和初期、「行基」の石塔は飛鳥奈良時代の物、「関係のない物」と看做してしまったのかもしれません。
100年前と1200年前の長い時間にまさか繋がりが有ったとは?
残念ながら無くしたものは蘇りません。
亀三郎翁を偲ぶ墓石は現存しないのです。
私共保存会は、保存に勤めながら亀三郎の偉業と魂を未来に伝えることが大切だと考えます。
130年も前、日本国が国として国民一個人にまで福祉や人権といった概念さえもあやふやな
時期に、市井の一個人が私費はもとより、地域社会に訴え援助を勝ち取り、生涯を尽くして実践した「榊原弱者救済所」という事実。
それを「史実」として後世に伝えるためには、実在した証として「墓碑」が相応しい場所に欲しいのです。
亀三郎は、1925年5月8日、現在のJR武豊線半田駅南側にある「アンダーパス」での事故により亡くなりました。 享年59歳、まだまだこれからの壮齢でした。
作家 西 まさる氏の著書「幸せの風を求めて」の中にも当時の様子が克明に著されていますが、この度JR武豊線高架事業により150年残っていた「アンダーパス」が無くなってしまうことになりました。
お墓も無く、慰霊碑も無い、現在あるのは亀三郎が生前(1920年、大正9年)に自ら残した、支援者への感謝を表した「記念碑」のみです。
これは当時、彼を支援してくれた人々の大切な資料であり遺構です。
私たちが残すべきものに、彼の「遺構」とは別に、彼への尊敬と感謝を込めた「慰霊碑」が必要だと考えています。
半田市の都市計画図を拝見すると、ちょうどJRのガード(アンダーパス)跡の横に可愛い公園が設けられています。
この片隅に亀三郎翁の偉功への感謝を込めて「慰霊碑」が建つことを願っています。

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