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Blog見出し side-event 平成31年1月20日(日)アイプラザ半田・講堂にて、「榊原亀三郎の偉業と榊原弱者救済所の存在を広める会」を開催。一龍斎貞花・講談「榊原亀三郎物語」ほか、イベント多数。
また、知多酒で乾杯する祝賀懇親会も同日に開催。
どなたでもお気軽にご参加いただけます。詳しくはパンフレットを。 side-kengaku 榊原弱者救済所跡保存会
愛知県半田市稲荷町2-42
鴉根区民館内
公園までのアクセス
E-mailでのお問い合わせは
side-book いばりんぼうのカメ 幸せの風を求めて side-event はんだ郷土史研究会
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福井県のあわら保護司会さんが榊原弱者救済所跡を視察に来られた。

まずは史跡公園を一回り、当会・前田さんが記念碑などの説明をする。みなさん熱心に聞き入り、「収容者の食事はどうしていた」「宿舎はどこに建っていたのか」など質問も具体的で関心の高さを感じさせる。

鴉根区民館に移動。お茶をサービス。会長の田中さんの挨拶、そして、西まさるが「榊原亀三郎と救済事業」を紹介するミニ講演。これがいつもの定番コース。これでガイド料は、お一人でも団体でも、1回1,000円。但し、DVD『榊原亀三郎物語』〈1,000円相当〉を1本差し上げます)なのだからタダより安い。

当然これは亀三郎翁の偉業を後世に伝え、少しでも更生保護、福祉のお役に立とうという気持ちからである。

10月19日には知多郡美浜町の民生委員会。11月1日は美浜町更生女性会、2日は名古屋市西区民生委員会、29日は名古屋市緑区保護司会のみなさんの視察が決まっている。

こうして榊原弱者救済所保存会の活動が全国に知られていくことはうれしいことだ。

 

何気なくパソコンを検索していたら、こんな記事を見つけた。

意外なところで榊原亀三郎を知ってくれている人がいたのだ。

https://ameblo.jp/npo-motherhouse/entry-12279237342.html

よろしければご覧いただきたい。

 

きょうはとても嬉しい報告である。

松原賢さんの論文「榊原亀三郎が社会福祉発達史に残した貢献~榊原亀三郎の福祉思想と榊原弱者救済所~」が日本福祉大学福祉学会の学術奨励賞を受賞した。これは松原さんばかりでなく榊原弱者救済所保存会としても喜ぶべきことだ。

松原さんは榊原亀三郎の偉業を知り、その思想と実行力に感銘を受け、再々、鴉根の救済所跡を訪れて調査。また、はんだ郷土史研究会の例会などにも度々参加して研究を深めていた。
その研究成果を昨年、発表し、この度の受賞となった。
表彰式は平成29年6月24日(土)、日本福祉大学美浜キャンパスで開催された日本福祉大学社会福祉学会第49回大会「こんなにオモロい福祉の仕事 教えて下さいあなたの実践~誰もが人間らしく生きられる社会をつくる~」で行われた。

詳しくは、『はんだ郷土史だより』73号に掲載してある。

さらに、みなさんにご報告したいのは、松原さんは学術奨励賞の副賞賞金を榊原弱者救済所保存会に寄付してくださったことだ。

6月8日、お住まいの豊川市からわざわざおいでいただき、寄付金を当保存会・田中清朗会長にお渡しくださった。写真である。左が松原賢さん。

 

 

大変ありがたく、嬉しいことだ。

心よりお礼を申し上げる。

  67回「社会を明るくする運動」の第3回半田市推進委員会の講師に西まさるを呼んでいただいた。
半田市保護司会や更生女性会、協力雇用主会などが中心で半田の公官庁、政経済界が参加する大きな会である。この日は120名のご参加とのこと。会場を見渡すとこの地方の名士の顔もある。

「社会を明るくする運動」とは犯罪や非行を防止し、罪を犯した人の立ち直りを支えるのが目的の会だ。
もとは戦後の荒廃した中の昭和24年に孤児や犯罪者が溢れる東京・銀座の商店街の人たちが、明るい街を取り戻すため、犯罪のない銀座をつくるために始めた運動「銀座ファエ」が始まりという。その民間活動が公的に引き継がれ、今年67回という。半田は3回というからかなり後発だ。

半田委員会の講演。
私、西まさるが講師である。
絶対に言ってやろうと思っていた。
「社会を明るくする運動は昭和24年に始まったのではない。その50年も前に半田で始まっていたのだっ!。榊原亀三郎という人が明治32年に半田で始めていたのだっ! みなさん! ご自覚召されッ!」。

るる言うまでもなく、今の半田市鴉根の丘に亀三郎が造った弱者救済所は、街に棄てられた幼い子どもたち。赤貧ゆえ家を追われた老人、身障者。出獄したが帰る家のない刑余者。そんな人たちを私費で救済・保護した民間施設だ。
「半田の誇るべき史実なんですよ!」。「みなさん、もっとこの救済所保存活動に協力してください」と言いたかったのだ。

45分、熱演したつもりだ。
会場に120人の方がいた。どなたも半田市では社会的地位の高い人たちである。
「鴉根の弱者救済所跡に行かれたことのある方、挙手をお願いします」と訊いてみた。
贔屓目に見て20人ほどが手を挙げた。保護司さんを含んでこの数だ。さびしい限りだが、これが現実なのだ。
がんばっていくしかないが・・・。

ともあれ「社会を明るくする運動」の嚆矢は半田・鴉根にあり、と自画自賛しておくしかなかろうか。

●この記事は「はんだ郷土史研究会」のブログから転載しています。

 

6月16日朝8時50分、鴉根の榊原弱者救済所跡史跡公園に観光バスが2台。飯田市から更生女性会のみなさんが60数名がご到着。史跡公園は一気に賑わった。

同会から当初、9時に着くとの連絡をいただいた時、「前夜はどこにお泊まりですか?」と訊いた。だって長野の飯田から半田市までこんな早朝に来られとは想像ができなかったからだ。

「朝7時に飯田を出発すれば9時着は大丈夫です」。

本当に来ちゃった。それも10分以上も早い8時50分だ。驚いた。

救済所跡を20分を見学。

その後、鴉根区民館に移動、「榊原亀三郎と弱者救済事業ー30年にわたり1万5千人を救った日本初・日本最大の民間施設ー」を西まさるがお話しする、いつものパターンである。

ここで書籍の『幸せの風を求めて 榊原弱者救済所』やDVD『榊原亀三郎物語』、絵本『いばりんぼうのカメ』を売って、その収益を保存会の運営資金にしているのだが、この日は売れた、売れた。さすがインテリ県の長野県だ。

あっぱれ! である。

本を売って資金するのは浅ましいようだが、これしか収益を得る方法がない。今後もなり振りかまわず、寅さんのように啖呵売に徹したい。これも弱者救済所跡の保存とPRのためであるっ!

さあ、お立ち会い!!

 

conv0006   5月19日(金)バス2台、89名の方が鴉根区にある、榊原弱者救済所跡を施設視察に訪れました。

14時から30分間は史跡公園の現地での説明です。亀三郎の事業に賛同してくれた篤志家・91名の名前が刻んである芳名碑(祈念碑)の前で、ガイドボランティア(写真=説明者は前田さん)が、ハンドマイクで説明していましたが人数が多く、後ろの人には聞き取りにくかったようです。ともかく、団体では今まで最大の参加人数でいろいろと戸惑いました。

次に場所を鴉根区民館へ移動して、講師の西まconv0010さる先生が、日本初、日本最大の民営の救済所で、30年にわたり1万5千人のもの弱者を救済した事実を事細かく、話をされた。当時の弱者とは、孤児・捨て子・行き場のない女性・高齢者。差別されて就職もできない出獄者。そんな人たちが誰に気兼ねすることなく幸せに暮らせる村である「幸せの村」を作ろうと亀三郎は仲間たちと頑張ってきた。など約40分の講演をされた。中には一生懸命ノートに書き込んでいる人もみえた。

今回89名の方が研修にみえて、うれしい限りです。

現在までに、見学に見えた方や、保護司会の方たちの講演や、メール・ホームページの効果が出てきたと感じます。皆様お疲れさまでした。

5月14日、日本福祉大学29年度新入生25名の方が、愛厚半田の里と榊原弱者救済所跡史蹟公園へ各班に分かれて、榊原亀三郎が明治から昭和の初期にかけて30年に延べ1万5千人もの人々を社会復帰させたといわれる。との予備知識を持って見学に訪れました。公園で10分くらい芳名碑の前で話を聞き、そこで写真を1枚パチリ。次に場所を鴉根区民館へ移動して約40分間,西まさる先生の講話を熱心に聞いていました。質問はないですかとの問いに4.5人の方が手を挙げて、先生の話をノートに記入していました。今日の25名の方が何人、榊原亀三郎のことをまとめ上げるか楽しみです。conv0007

 

 

 


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