
石川県羽咋市保護司会さんが視察に
石川県羽咋市保護司会さんが榊原弱者救済所跡を視察に来られた。17名様。(前ブログでは七尾市保護司会と書いたが、それは謝り。正しくは羽咋市保護司会)
9月15日である。羽咋市は能登半島の中程。遠路のご来場に頭が下がる思いだ。
いつものように現地を前田さんがご案内。この地に救済所があったことなど、鴉根の...【続きを読む】

地道な普及活動
ご無沙汰しております。
榊原弱者救済所の絵本『いばりんぼうのカメ』を描かせていただきました
イラストレーターのスギウラフミアキです。
ブログを書くのは久しぶりですが
亀三郎翁の偉業を伝える活動は
間接的ながら続けております。
僕はアートイベント出展時には必ず絵本を持参し
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西まさる「にしさんぽ」
知多半島の情報誌『Step』に、「にしさんぽ」というコラムが5月号から誕生した。わたくし西が、ちーちゃんという歴女と一緒に知多半島の史跡を訪ねるという設定だ。西の「にしさんぽ」と言うと、まるでぼくの冠番組のように見えて嫌なのだが、これは『Step』の編集部がつけたタイトルなので、ぼ...【続きを読む】

鴉根山の三本足の狐
この投稿は「はんだ郷土史ブログ」と二重投稿だが、「鴉根のキツネ」のことなのであえてここにも掲載する。
きょうは訳のわからないことを書く。
ぼくが解らないのだから、読むあなたも解らないだろう。
でも、何か解ったら教えてほしい。
ことの発端は先週の『東海近世文学会』。島田大助先生のご発...【続きを読む】

亀三郎翁の命日
大正14年5月8日、榊原亀三郎は逝去。事故死だった。
事故は国鉄(現JR)半田駅の南端にある小さなガードで起こった。ガードは道幅2㍍強、高さは2㍍以下で線路の下をくぐる通路のようなもの。上を見ると線路が丸見えの粗末なものだ。現在も歩行者と自転車が生活道路として利用している。
その日、亀三郎はいつもの...【続きを読む】

第2回救済所まつり
榊原亀三郎と弱者救済所の偉業を後世に残すために、隔年に一度、「まつり」をやろうととの企画。無事、第2回を行うことができた。
4月10日、鴉根のお祭りに便乗は例年通りだが、お神輿が4台、救済所跡地公園を廻ってくれた。
今回、半田市の藤本副市長のご提案がありがたかった。「桜...【続きを読む】

鴉根は「福祉の町」 中日新聞
何もない雑木林だった鴉根の丘に弱者救済所を造り、一万五千人もの人を救ったのが榊原亀三郎。その救済所とその精神が地元に根付き、鴉根の丘には福祉関係の施設が次々と建った。
地元の人もそれを温かく受け入れ、鴉根は「福祉の町」となっていった。
この度、各福祉施設が連携をとり、助け合いながら進む約束ができた。...【続きを読む】

小さな改善
榊原弱者救済所跡公園の課題はたくさんある。
大きな悩みの一つは、せっかく各地から見学にお見えになっても、この後、どこへ行っていいか不案内。また、跡地公園には人が常駐しているわけではないので、問い合わせもできない。だから見学の方にご不自由をおかけしていた。せめて半田の観光地の案内や昼食ができる店の紹介...【続きを読む】