壇上、向かって右側は来賓。榊原半田市長、小林愛知県保護司協会会長、近藤愛知県議、堀嵜愛知県議、筒井半田商議所副会頭。
左側は主催者サイド。田中保存会会長、藤本半田副市長、蟹江相談役、上中相談役、太田半田保護司会会長、新美鴉根区長、西まさるは『幸せの風を求めて』の原作者。
既報の通り、一龍斎貞花の講談「榊原亀三郎物語」も大好評。会場には430名もの方々が。熱気に溢れる口演でした。
貞花師匠は公演の前に鴉根の救済所跡をご訪問。さすがです。
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平成31年1月20日(日)アイプラザ半田・講堂にて、「榊原亀三郎の偉業と榊原弱者救済所の存在を広める会」を開催。一龍斎貞花・講談「榊原亀三郎物語」ほか、イベント多数。
榊原弱者救済所跡保存会

はんだ郷土史研究会
4月12日(日)鴉根区のまつり。いつものように子ども神輿が町内を練り歩く。
その終着地は榊原弱者救済所跡公園である。
「祈念碑」の前を行く4台の神輿は富山刑務所で造られたものだ。
受刑者たちが丹精込めて造った神輿が、出獄者保護をした救済所を練り歩く。
象徴的な光景だ。
昨年、華々しく開催した「亀三郎まつり」は、今後、隔年開催にした。その方が長く安定して開催を継続できるだろうとの考えからだ。
継続は「まつり」ではない。「まつり」は手段であって、本筋は「亀三郎の弱者救済の心」の伝承である。
公園の隅に、旧の救済所から飛んで来て、自然に根付いた「桜」が咲いていた。
植物はしぶとい。この精神で亀三郎の心も広く飛ばしたい。
板山竹炭研究会・会長 山田嵩様を初め、大人13人と子供29人の方が、3月21日(土)10時10分~10時50分まで、榊原亀三郎の功績を学びたいと連絡がありました。 当日は、田中と前田で対応を致します。
最近では、沼津市の史談会から10名史跡公園を訪れて下さいました。
榊原弱者救済所の絵本『いばりんぼうのカメ』を描かせていただきました
イラストレーターのスギウラフミアキです。
この度、絵本の原画展を開催することになりました。
お近くの方、興味をお持ちの方には、ぜひご来場いただけたらと思っております。
よろしくお願いいたします。
スギウラフミアキ 絵本『いばりんぼうのカメ』原画展
<期 間> 2014年12月20日(土)〜26日(金)
2015年 1月6日(火)〜11日(日)
10:00-16:00 水曜休
<場 所> フレンド乙川(半田市乙川八幡町3-22)
※JR乙川駅より東へ徒歩4分
<電 話> 0569-58-5104
<入場料> 無料
ならば、『幸せの風を求めて』執筆当時の資料箱を開けてみた。大きなダンボール箱に一杯ある。思えば、半田~浜松~静岡を何往復したことだろう。
国会図書館、金原明善資料館、静岡県内の図書館や資料館。何度も行った。
岐阜に資料があると聞いて走ったこともあった。空振りだった。愛教大に資料があると聞き走った。ガセネタだった。山崎延吉に鍵があると睨み、安城市の関係箇所を廻った。これには成果があった。
そう思い出した! 成岩の某氏が日本福祉大学の某先生に資料を送ったと聴いたので、某先生に手紙を出した。あれから6年経つが返事がない。某先生はまだお探しのようだ。
横浜市に新聞資料館・ミュージアムがある。古い新聞もどっさりある。
ここで「榊原亀三郎」を探し出した時の喜び。反面、一日をムダにした虚脱感。それを思い出した。
手許に30件以上の明治、大正期に救済所を書いた新聞記事のコピーがある。
その内の1つ、大正元年10月の『尾三新聞』に「救済事業面接簿」と見出しされた記事に、救済所を訪問した人の名が記されている。
△留岡幸助 △井上友一内務省神社局長 △金原明善 △山崎農林学校長 などなど錚々たる顔ぶれだ。また、△大学生 大村幹などという無名の人の記載もある。
この人たちが半田の山奥の救済所を訪れ、見学し、また、支援をしたくれたのだ。
感慨深い記事だ。(*クリックで読めます)
他にも紹介したいものがあるので、順次、この欄に掲載する。
12月2日(火)午前9時30分、阿久比町更生保護女性会(男性も含む)関会長をはじめ20数名の方々が、榊原弱者救済所跡史跡公園を見学に見えた。公園内を一通り見て頂き、祈念碑の前で榊原亀三郎が弱者救済を思い立った背景から語り始め、明治32年(1899)から昭和7年(1932)ごろまで30年間に、のべ1万5千
人の社会的弱者を収容し、救済したことの説明に皆さんは耳を傾けて、聞いて下さった。 約30分の短い時間ではあったが、最後に一部の方と写真を1枚パチリ終了した。
おかげさまで榊原弱者救済所跡保存会創設一周年を迎えました。
ほんとうにありがとうございました。
11月15日、アイプラザ半田で記念会を開くことができました。
写真は冒頭のセレモニーです。立派な方々にご参列いただき、感謝にたえません。